女優、遠野なぎこさんの書かれた、
「一度も愛してくれなかった母へ、 一度も愛せなかった男たちへ」
(新潮文庫) を読みました。
母に「醜い」と言われ続け、摂食障害や、
死を考えるほどの苦しみと闘い続けた、
壮絶な体験がつづられた自伝的な小説です。
『「ママさえいなければ」
三十数年生きてきて、何度こう唱えたかわからない。』
『「早く死んでくれればいいのに」
結局、ここにたどり着く。』
途中の章で、共に壮絶な環境で育ってこられた弟さんが結婚され、
「私たちはいつまでも傷ついた子どものままではいられない。
意志ひとつで自分の人生を切り拓けるのだ。」
ともお書きになっていますが、祝福できるまでには時間がかかったと
書かれていますし、さらに年齢を重ねるにつれ、
「目の前の苦しさから抜け出したくてもがいているうちは、まだよかった。
ほんとうの絶望は、それに終わりがないと気づいたときから始まるのだ」
と気づいてしまう。
傷つけ、傷つけるなかでがむしゃらに生き、
いつか良い方向へ変わってくれるだろうという思いがぷつんと切れる、
それがどんなに絶望的なことだったかと、こころが凍る思いで読みました。
そして、とうとうこの頃、「母がいない世界に行きたい」と、
死ぬための準備を始められるのです。
死んでこの苦しみから逃れたい。
その気持ちとの闘い自体が、さらなる壮絶をきわめ、、、
のち、
「いまここで私が死んだら、母の思うツボだ…!」 と、
もう一度生き直すことを決められます。
これにはどれだけの読者が希望を与えられたかしれません。
母娘関係、それは同性だからこそ特別な関係であると言われています。
それまでの母子の関係性によって、恋人、夫婦、親子…そして自分。
そういった親密な関係の中で、愛し方の加減がわからず、
その関係自体も不安定になりやすい。
たとえば、
どれぐらい愛したらよいのか?
どのように愛したらよいのか?
自分の愛し方は、これであっているのか?
と常に不安な気持ちをお持ちになる。
不安でおしつぶされそうになり、
自分を傷つけ、見捨てられる前に相手を傷つける。
周りを見渡せば、自分だけがちゃんとできていないように感じられる。
どうして当たり前のことができないのか?
自分は欠落した人間だ…と思い込んでしまわれる。
でも、こころの底では、そんなご自分を望んでいるわけではないと…
そういったご相談にお見えになる方は、多くいらっしゃいます。
その苦しみに、結局私たちは共にその場に在ることしかできませんが、
思いもよらなかった別の見方が存在すること。
そういった見方を提示する第三者としてのカウンセラーが存在することに、
意義を見出してもらいたいと思い、
真摯に向き合わせてもらいたいと思っています。
よくぞここまで諦めず来てくれたということ、
それがみなさまをお迎えするときの本音です。
長い長い戦いであり、出口のないように思われる苦しさだとしても、
ある一瞬でもあなたは1人ではない、その積み重ねでいつか、
自分の見方を確立することができる日が来る。
その時間を持ちにいらしてください。 お待ちしています。